4 中国人の読者へのメッセージ。
4-1.中国人を悪く言う日本人ばかりではありません!
この記事を読んでいる人の中には、中国人の方々もいらっしゃることでしょう。
「自分はマナー違反などしていないのに…」「マナー違反と知らずにやってしまったことなんだ…」と、胸を痛めて、肩身を狭くしている人もいるかもしれません。
大丈夫です。ご安心ください。
【日本人のすべてが中国人に敵対心を持っているわけでは、ない】のです。
4-2.民泊利用の際は、暖かそうな雰囲気の家主さんを選ぶようにしましょう。
Airbnb(エアビーアンドビー)や民泊の家主についても同様で、前述したように、【家で常に宿泊客と交流しているタイプの家主はたいてい、「マナーの良い中国人だってたくさんいるよね」ということを理解しています。】
暖かい民泊には暖かいお客さんが訪れる(ことが多い)ので、暖かそうな雰囲気の家主さんは、マナーの良い中国人客との良い思い出を持っています。ですから、あなた方中国人のことをむやみに嫌ったり批判したりは、しないでしょう。
ご安心ください。あなた方を笑顔で歓迎してくれる家主もたくさんいます。リスティングページをよく眺めて、そうした家主さん(の施設)を、上手く選んでください。
5 中国人のマナー問題は、私たち日本人が異文化を勉強する良いキッカケ。
5-1.日本がちょっと過剰すぎる?
マナー違反をする中国人の肩を持つわけではありませんが…
日本の昨今の「中国マナー違反報道」は、ちょっと過剰すぎると思えなくもありません。げんに諸外国からは、逆に日本が、そのような指摘・批判を受けています。
5-2.中国だけではないのに、中国だけを悪者扱いしすぎてしまっているかも?
私たちは連日のように、「ありえない!」「非常識!」と怒鳴りちらしていますが、それは単なる、「文化の違い」にすぎないケースもありますし、中国人だけがそうなのかと言ったら、そうでもないかもしれません。
今はたまたま、来日している人数の絶対数が多いために、中国人の所作が目につきやすいだけかもしれません。また、中国人の訪日ブームが起こる前から世論の嫌中感情が高まっていたので、過剰に反応してしまっているところがあるようです。
5-3.日本の常識が海外のマナー違反になることだってある。それを思い出そう。
たとえば、日本の伝統文化である温泉や銭湯。
温泉は、海外にも少しはあります。銭湯はなくとも湯治のような入浴施設もあります。日本の場合、「服を脱ぐこと」がマナーであり常識ですが、外国だと、公衆施設に裸で入るななんてキチガイか!と驚かれてしまいます。ワイセツ法の面からも問題ですしね。
逆に、日本で銭湯や温泉に衣服や水着を着て入ると、「洗剤が溶けこんでしまうから止めてください!」と厳しく咎められますよね。「良識知らず」と言われてしまいます。でも外国では、着て入ることのほうが良識であり、「マナーを守っている」行為なのです。
5-4.他人を批判する前に、自分たちの言動が醜くなっていないか、気をつけよう。
ですから、【私たち日本人は、日本の常識だけを善と考えて、他の国の常識を「マナー違反だ」と批判していてはいけません。】【何か見慣れない行動を見たなら、怒ったり批判したりする前、「よその国の文化やマナーを知るチャンスだ!」と考え、その行動の意図を尋ねてみると良い】でしょう。
交流を重視するタイプのバックパッカーなど海外旅行愛好者たちは、海外でそうした質問交流を経験しています。彼らは、日本で見慣れない振る舞いを見慣れていますから、それがたとえ多少不快に感じる行為であったとしても、むやみに怒ったりせず、寛大に見守る傾向にあります。
中国人マナーの件に限らず、日本人は諸外国から、「視野が狭い」と言われることが多いのです。外国人の目新しい食べ物や流行ばかり取り入れてはいても、文化や政治についてはかなり無頓着であるようです。私たちもまた、中国やその他の国の人々のマナー、伝統、習慣、文化…それらについて、学ぼうとすることが大切かもしれません。
そして、外国人のマナー違反を見たときにも、私たちはもっと寛大になったほうが良いかもしれません。諸外国の人々は日本よりも異文化交流に慣れているので、マナー違反を見ても、それによって不快や迷惑をこうむっても、こんなに騒ぎ立てはしませんし、毛嫌いもしません。(外国でも、外国人の少ない田舎のほうの人々はけげんな顔をすることも多いですが、つまり日本人大衆は、外国の田舎の人のような保守性や排斥性なようです。)
「怒る」とか「批判する」「さらす」「笑いものにする」といったネガティブな行為をする前に、「注意する」「教えてあげる」「解決の努力をする」といったポジティブな行為に努めたほうが良いのではないでしょうか?多少不快に感じるとしても、我慢して尊重してあげるべき事柄もあるでしょう。
そうしたポジティブな対応こそが、異文化交流ということであり、世界平和のための協力や博愛です。