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小説「シャンバラとアセンション」Vo.2

第2部

エピソード4


ようやく、「ストーリー」が始まる。

私の拙い能書きは、終わる。



あれは、

2012年の3月のことだった。

…いや、

本当は、この年月では無い。

その近辺ではあるが、12年の3月では、無い。


なにしろ、

個人を特定出来てしまいそうな情報は、

何一つ明かしてはいけない約束に、なっているのだ。


…誰と約束したのかって?

シャンバラ人である。



…こんなに冒頭から、

核心をバラしてしまって、良いのだろうか!?

良いか悪いかは、知らない。

私には、このような書き方しか、思い浮かばないのだから…


ちなみに、

この物語は、サスペンスやミステリーの類では無い。

誰も死なないし、悪の親玉は登場しない。

ファンタジーでも無いから、

ティンカーベルみたいなのも、出てこない。


ドキュメンタリーというジャンル区分が、一番近いようではあるが、

「事実です」と言っては、ダメなのだ。

なぜか? 約束をしたからだ。

誰と? シャンバラ人と。


なんでも、スピリチュアルな真理を発信する人間は、

多くの人間から攻撃され、疎外されてしまうらしい。

だから私は、

自分の身分を隠し、「作り話」として、

この物語を綴る必要が、あるのだ。



一体、

私が本当に、冒険家なる職業であるかも、疑わしい。

本当かもしれないし、嘘かもしれない。

冒険家に付き添った、テレビクルーかもしれない。

救護班かもしれない。



…おや?

なにやら、推理小説のようなテイストが、

出て来てしまったかもしれない。

これはこれで、

読者の皆様を喜ばせることが、出来るかもしれない(笑)


もし、

この物語を読んだあなたが、

町で出会った私に対して、

「あなた、あの小説を書いてた人でしょう?」

と言い当てられたならば、

あなたは、シャーロック・ホームズや金田一耕介さながらの、

名探偵かもしれない!



エピソード5


…いやいや!

そろそろ、本題のストーリーを始めよう!

これまでの駄文は、全て忘れて頂きたい。

しかし、

これからの文章は、

一字一句逃さずに、消化して頂きたい。



あの日私は、壮絶だった!

仕事で、吹雪舞う崑崙山脈に登っていたは良いが、

私は、同行者たちと離れ離れになってしまったのだ!


…どの辺りか、ということも、書くことが出来ない。

ただ、

崑崙山脈がどこにあるかという問いであれば、

「チベットの辺りです」と答えよう。

あとは、地図帳でも開いて頂ければ助かる。



私は、

それ相応の装備を持ってはいたが、

それでも尚、絶対零度の雪山は、熾烈を極めた。

まぁ、その装備さえも、

遭難中に失ってしまったが…



経験上、体力と精神力には自信があった。

私は、とにかく、歩き続けた。

…いや、

経験を参考にするならば、

通常、雪山で遭難した場合には、無闇に歩き回ったりは、しない。

体力を温存し、天候の回復と、救助を待つのだ。



もう一つ、

アドバイスめいたことを書いておこう。

もしあなたが、

極限の寒さの中で、過ごさなければならない場合、

「より多くを着込むこと」より、「脱ぐこと」を考えたほうが、良いのだ!


何にせよ、そうなのだが、

どうも、極限を超えてしまうと、

「セオリーとは真逆の行動」の中に、答えが見つかる。

私は、2つ3つの事象において、

この、「真逆の法則」を体感しただけなのであるが、

ある人は、「ロイヤルブルーのパラドックス」と名付けて、

非常に多くの具体例を、挙げていた。

だから、「何にせよ」と言うことが、出来る。



もちろん、

服を脱ぐと、最初のうちは拷問のごとく辛くなる。

だから、一般人は、慌てて着込むことを考え出すのだが、

辛くても我慢し続けていると、

体内で、なんらかの免疫力が養われ、

いつの間にか、寒さに強くなってしまうのだ!

ちなみに、

丸一日くらいは、極限の寒さに耐え続ける必要がある。



そして、

その場所に、同性異性問わず、他の人間が居るならば、

恥も外聞も捨てて、裸のまま抱き合ってしまうことだ。


体温というのは、最も有効な防寒具になるらしい。

何の動力源も無しに、常に熱を発し続けられるからだ。


お互い、未婚者であるのならば、

そのままセックスも交わしてしまえば良い。

体温は更に上昇するし、

快感に浸っているうちに、過酷な時が過ぎ去ってくれるからだ。


死を覚悟するくらいなら、

恥も外聞も捨てて、セックスしてしまうのだ。

アンモラルであることは、重々承知しているが、

私は、道徳の教師ではなく、サバイバルのエキスパートであるから。



エピソード6


そう。

「エキスパートのセオリー」では、雪山では「止まれ」なのだが、

「私の頭の中のコンパス」は、どうも、「歩け」を示していた。

これは、つまり、「直感」というものなので、

そこいらのスピリチュアリストが語るように、

「まぶたの裏にビジョンが見えて…」とか、

「聖なる予言」シリーズのように、「光が道案内をしてくれて…」

といった類では、無い。



サイキックも、極限に達してしまうと、

視覚や聴覚による実感が、無くなってしまうらしいのだ。

私はそのことを、知識としては、知っていた。

だからこそ、

「セオリーを無視する」などという愚行を、踏み切れたのだ。



私は、自分は、

サイキックなどというものとは無縁な人間なのだと、思い込んでいたのだが、

どうも、「直感」が優れているようなのだ。

そして、

「セオリーを無視して直感に従える人間」というのは、

常人のサイキック・レベルを、超越した段階に、あるらしい。


それも、

「ロイヤルブルーのパラドックス」について書いていた人が、

力説されていた事柄の一つである。

すると、

商業的なスピリチュアリズムに夢中になっている人々は、

直感はおろか、視覚のサイキックを卒業し、聴覚のサイキックに達することすら、

出来ていないらしいのだ。



要約すると、

視覚→聴覚→直感

といったふうに、サイキック能力は、進化するのである。

あなたのサイキックは、今、どの辺りだろうか?


また、

「直感のレベルに至っている人」と、「サイキックが皆無である人」は、

一見、見分けが付かない。

直感のレベルに至っている人は、

不可視のエネルギーを、熱感で感知出来るらしい。


レイキの実践者には、熱感探知の可能な人が、多いようだ。

レイキの実践者でも、熱感探知が出来ない人は、

レイキを使いこなせては、いない…

エセ・ヒーラーも、良いところである。



…とにかく、

直感というのは、サイキック情報の一つなのである。


もし、私が、

この雪山で遭難していた時期に、

こうした知識を仕入れていなかったならば、

「エキスパートのセオリー」よりも「根拠の無い直感」を信頼することなど、

とてもでは無いけれど、出来なかったと思う。


ちなみに、

「ロイヤルブルーのパラドックス」などが綴られた、彼のブログは、

もう、閉鎖されてしまった。

彼の情報を、「自らの成長に活かそうとする人」が、誰も、居なかったからだ。



確かに、スピリチュアリストという人種は、

現実逃避でネガティブな人が多いし、

「クリスタルやセラピストが、自分の問題を解決してくれる」と、思い込んでいる。

「お金でアセンションが達成出来る」と、信じて止まない。

しかし、

スピリチュアルなスクールに通っていて、アセンションを達成出来た人の話など、

私は、一つも聞いたことがない。



…話が、解説的な文章に移ってばかりで、申し訳ないが、

これは「冒険小説」ではなく、

「スピリチュアルな解説本」のニュアンスが強いので、

何卒、ご了承頂きたい。


「謎の文明」に迷い込んだ人の本は、

やはり、ストーリーを楽しませることよりも、

解説本的ニュアンスの強いものが、多いようであるから。




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