小説「シャンバラとアセンション」Vo.17
エピソード32
前章(エピソード31)は、非常に多くの行を割いた。
エンは、前章のような内容を、
現代日本人たちに、強く噛み締めてほしいのだそうだ。
エンだけの望みでは無い。
アセンションを果たした人間は、誰もが、そう願っている。
スピリチュアリストの中にも、
「生計と家事を両立させ、男性から自立する」
ということを、殆ど達成出来ていない者が、多い。
または、
夫が充分な生活費を稼いで来ているというのに、
お金儲けとぜいたくに夢中になっているのである。
どちらも、
意識レベルとしては、未熟なのだ。
私たちは、スピリチュアリストのことを、
肩書きや知名度、顧客の数などと言った、「商業的な物差し」で計ることを、
そろそろ、卒業しなければならない。
私たち女性は、
社会が生き難い要因を、すぐに、男性のせいにしてしまう。
しかし、実際には、
その要因は、「男性に依存し切っている女性たち自身」に、あったのだ!
そのことに気付き、謙虚に自分の生き方を改めなければ、
誰が首相になろうと、誰が社長になろうと、誰が夫になろうと、
世の中が生き難いことには、変わらないのだ。
逆を言えば、
すでに、「男性に依存しない人格」を養えてしまった女性は、
誰が首相になろうと、誰が社長になろうと、誰が夫になろうと、
大して関係なく、朗らかに生きている。
私の周囲には、そのような女性が大勢居る。
生計と家事が両立出来ていて、且つ、ぜいたくに走らない女性は、
誰もが、朗らかに生きている。人生が楽しそうである。
あなたは、どうだろうか?
あなたの人生が苦痛である理由は、どこにあるだろうか?
しばし立ち止まって、考えてみてもらいたい。
エピソード33
私たちは、
保育園の様子を観察するがてら、
お茶菓子をご馳走になった。
体力が回復するまで、しばらく、のんびりさせてもらった。
少しだけ、乳幼児たちと戯れさせてもらった。
本当に、穏やかな子たちばかりだった。
私たちは、潔く、保育園を出て来た。
また、話をしながら歩いた。
どうやら、このまま、
シャンバラの出口へと、向かうらしい。
「なんだぁ、もう終わりか!」
とても、名残惜しかった。
一ヶ月くらい暮らしてみたいものだった。
しかし、
私に許されたのは、あくまで、社会科見学だったのである。
下界で、魂を磨いてこなければならない。
…いや、
私が今後、どんなに立派な器になっても、
再びシャンバラに戻って来ることは出来ないと、
私は、わかっていた。
それについては、
後でまた、書くつもりでいる。
私は、
エンと話をしながら、昨日(?)の出入り口へ向かった。
いや、一旦エンの家に寄って、
防寒具を取ってくる必要があった。
私は、
リュックやその他の荷物は、遭難の際に、根こそぎ失っていた。
必要と思われる道具を、麻のリュックに詰めて、
エンが私に手渡してくれた。
これらは、帰宅次第、処分してくれと言われた。
シャンバラから何かを持ち帰ることは、許されていないのだ。
証拠を残すわけには、いかないのだ。
警察犬など使えば、嗅ぎ付ける可能性も、あるだろうから。
私は、完全に信頼されていた。
もし、私が、シャンバラの情報を売ったら、
莫大な財産が手に入り、有名にもなっただろう。
しかし私は、
エンの信頼に応えた。
それが当然だ。
私は、「カルマの法則」というものを、理解しているつもりだ。
「カルマの法則」を理解している人は、
誰も見ていなかろうが、法に触れなかろうが、
一切の不正は、侵さない。
いや、
法は、あまり遵守しないだろう。
けれども、不正は侵さないだろう。
その違いは、微妙なところだけれども。
解る人間には、解ると思う。
エンは、
私が眠っていた横穴まで、送ってくれた。
私は、そこからは一人で歩いた。
吹雪は、止んでいた。
来ることが出来れば、帰ることは、出来る。
実際は、
吹雪など無くても、壮絶な道のりだったのだが、
苦労自慢をするのは、違うだろう。
それは、この物語の主題からは、逸れる。
下山後も、色々と面倒なことが多かったが、
どうにかこうにか、切り抜けた。
幾人かの役人は、シャンバラを知っていると思われる。恐らく。
極秘であることを、承知してくれているのだ。
冒険記は、ここまでにしておく。
次は、テキストのようなものを綴ろうと思う。