小説「シャンバラとアセンション」Vo.16
エピソード31
私たちは、また、田舎道を歩いた。
あ、今、重要なことを思い出した!
ユベール・ロベールという廃墟画家が居るのだが、
彼が描く、廃墟ではない絵には、
シャンバラの風景に酷似したものが、幾つか、ある。
どうやら、彼は、
シャンバラの風景をチャネリングして、描いたようだ。
アトランティスの風景を、チャネリングして描く画家は、結構居る。
しかし、
シャンバラの風景をチャネリングして描く画家は、少ないようだ。
商業主義的な画家は、
アトランティスのほうに、陥ってしまうようだ。
どうも、
派手なものを好む人たちは、高い意識レベルには、無いようだ。
話を戻そう。
流石の私も、そろそろ歩き疲れて来た。
エンに指摘される前に、私は、素直に言った。
エンは、いつものようにウフフと笑うと、
「あと5分ほどですが、がんばれますか?」
と言った。
私は、がんばることにした。
5分ほど歩いて辿り着いたのは、
保育園のような雰囲気の場所だった。
これまで登場した、ほとんどの施設に於いて、
木造の平屋が並んでいることには変わりないので、
中の様子と、集う人種で、説明し分けるしか、無い(笑)
建物の中には、
10人程度の乳幼児が居た。
ギャーギャー騒ぎ立てる子は、殆ど居ない。
両親の意識レベルが高いと、
生まれてくる子どもたちも、人を煩わせない人格であるらしい。
これは、私たちの住む3次元社会にも、当てはまる。
手の掛かる子の親は、手の掛かる人間である傾向が、強い。
ただし、
「オールドソウル」と呼ばれる魂を持つ母親は、
素晴らしい人格者であっても、手の焼く子を産むことが、あるらしい。
手の焼く子を、巧みに育てあげることが、託されているらしい。
…自分がどちらのタイプの親であるかは、
恐らく、霊能者に尋ねたりしなくても、察しが付くと思われる(笑)
乳幼児が10人ほどであれば、乳母もまた、10人ほど居た。
多分、同じ人数で、マンツーマンに育児していると思われる。
一人くらい乳母が欠けることがあっても、
ほぼ、マンツーマンに近い育児を、キープ出来そうだ。
それを狙って、
一つの空間に寄り添って、育児をしているのだそうだ。
エンが教えてくれた。
これまた、私は察しが付いていたことだが、
乳母たちは、実の親では、無い。
「乳母」という役割をレッスンしたい女性たちが、
自発的に、名乗りを上げているのである!
または、
非常に意識レベルの発達した「オールドソウル」が、
人数合わせ的に、請け負うようである。
この時に乳母をやっていたのは、
全員、志願者たちであったそうだ。
もちろん、
ただ志願するだけでは、駄目なのだ。
意識レベルが、相当に達観した女性のみが、エントリー出来る。
選ばれし職業である!
乳母が、「選ばれし職業」…?
3次元社会では、
乳母を請け負うことに、資格も何も無い。
むしろ、「最も、人選が為されない職業」と言える。
しかし、
それって、どうなのだろう?
乳幼児は、最も手が掛かるし、
「三つ子の魂百まで」なのであるが?
この時期に、
親の罵声を浴びながら育つか、クラシック音楽のような声で囁かれるかで、
子の人格は、天と地ほども、差が出る。そんなのは、明白だ。
罵声だけでは無い。
タバコを吸いながら、育てる親。
酒臭い息で、キスをする親。
遊びに出掛けて、子を放置する親。
パチンコ屋の駐車場に、放置する親。
ファーストフードばかり、食べている親。
そのような親の元で育てられるのは、気の毒以外の何者でも無い!
堕胎は、殺人と背中合わせではあろうが、
かと言って、「子どものような親」が子どもを育てることが、
正しい選択であると、言えるのだろうか?
実際のところ、
出産直前まで、胎児には、意識体(魂)は宿らないらしい。
つまり、
胎児を堕胎することは、精子や卵子を排泄することと、
概念的には、同等なのである。
罪深きことでは無いし、胎児も苦しまないのだ!
私は、この事実を知ったとき、
胸が撫で下ろされる気持ちになった!
私自身は、堕胎も妊娠も未経験であるが、
それでも尚、
100年分の呪いが解けたような、身の軽さを、覚えた!
5次元文明的な考え方を、引用すると、
子育てに煩わしさを感じるような親は、
早々に、保育園に預けてしまうことが、正解であると言える。
また、「赤ちゃんポスト」の普及も、進んだほうが良さそうだ。
ただし、
保育園の保育士たちが、
ここの乳母たちのように、意識レベルの高い人であるかどうかは、
いささか、疑問が残る。
ただ、大概は、心優しい人が多いことだろう。
一つだけ問題なのは、
現行では、保育士の数が、足りなさ過ぎるようだ。
マンツーマンの育児が、「本来の姿」なのであるから。
私は正直、
子どもを産みたいとは、思っていない。
しかし、
人生の一時、真剣に乳母に取り組んでみることは、悪くないと思う。
それが、赤の他人の子であっても、構わない。
他に仕事をする必要が無いのであれば、
2年くらいは、頑張れそうな気がする。
私が、エントリーに値する器なのかは、わからないが…
その話を、エンにも、してみた。
エンは、優しい笑顔で、こう答えた。
「あなたが、本当に奉仕に目覚めたならば、
良い乳母になると思いますよ。」
私は、素直に、嬉しかった。
ここで乳母をやっている女性たちに共通しているのは、
「温厚な人格をしている」ということに、尽きるだろう。
まぁ、シャンバラの人々は誰もが、温厚なのだが。
私は、もう一つ、エンに訊いた。
「男性は、育児に参加しないのですか?」
エンの答えは、こうである。
男性と女性は、
基本的に、生まれて来た理由が、異なるらしい。
男性は、主に、頭を使うことを役割としており、
女性は、主に、体を使うことを役割としている。
かと言って、
男性も、女性をナビゲートするためには、
一通りの肉体労働を、マスターする必要がある。
プロ野球のコーチや監督が、必ず、選手経験者であるのと、同じようなものだ。
新聞記者などには、選手経験の無い者も多いから、
その言葉には、説得力が薄い。机上の空論である。
男性たちは、
育児を、密に請け負う必要性は無いのだが、
いつでも代役に応じる心構えや体力、奉仕精神などは、
人生の早いうちに、養っておく必要がある。
3次元社会では、
男性たちは、大概、
会社の中で、部下や顧客の面倒を見ることで、
子育てと同等なスキルや体力を、養っていることが、多い。
そのような経験を拒み続ける男性は、
親族の介護を請け負う機会に見まわれたりすることで、
同等な経験を積むことになる。
女性たちは、
肉体を差し出すのは「前提」であり、
それを一通り達成したならば、(または、肉体奉仕と同時進行で)
頭を使う学習も、行う必要がある。
他人をナビゲートする、監督やコーチのような作業も、
ひいては、肉体労働の一部であるため、
最終的には、女性たちが請け負えるようになることが、理想的なのだ。
男性たちは、先駆者であり、ピンチヒッターのようなものだ。
つまり、
肉体奉仕を充分に行った上で、
監督やコーチのようなポジションを為し終えたなら、
その女性は、「成熟した人間に達した」と、言える。
その間、芸術活動にも一芸を持てたならば、
尚のこと、理想的である。
「肉体を使うこと」
には、本来、
家族の衣食住を賄うことが、含まれる。
すると、家事をすることだけでなく、
生計を立てることさえをも、女性が担う必要が、あるのだ!
一見、地獄なようにも思えるが、
シングルマザーたちは、これをこなしている。
また、
中東人たちは、現代も尚、このような価値観で生きているらしい。
世界各地の土着民たちも、このような両立を、こなしているらしい。
現代日本人及び、先進諸国の女性たちに、
このような両立が地獄のように感じられるのは、
「ぜいたくが過剰であるため」だ。
質素な暮らしをするだけの生計であれば、
誰にとっても、そう難しくは無いだろう。
ぜいたく費に、月5万も10万も期待するから、
地獄のような忙しさに、追われてしまうのである。
全ての女性は、
「生計を担ってもらう動機」で結婚することを、控えなければならない。
まずは、自分一人の生計を担えるように、レッスンを積む必要がある。
雇用形態は何でも良いから、社会に出て、一人暮らしをするのである。
実家に滞在するとしても、
一人暮らしと同等の、生計と家事をこなすのである。
それが充分に出来るようになってから結婚するならば、
支配的・嘘付き、または、無神経・不潔な夫に苦しむような結果には、
ならないであろう。
けれども、
あなたが家事手伝い同然なら、
より多くの給料を稼ぐ男性を、求めたくなってしまうだろう。
そして、
多くの給料を稼いで来る男性には、
支配的・嘘付きな男性が多いし、無神経・不潔な男性が、多い。
「そんなことは無い!」
と、お思いか?
では、あなたは、
あなたの家の玄関をドンドン叩いて、
浄水器なんぞを売りつけようとする営業マンと、
花屋でのんびり、草花を愛でている男性と、
どちらが支配的・嘘付きだと思うだろうか?
どちらが無神経・不潔だと思うだろうか?
営業マンは、出来高制の給料形態であることが多く、
高給取りが多い。
花屋の社員は、平均以下の収入であることが、多い。
「営業マンたちが嘘付きなのは知っているが、
ウチの旦那だけは、例外だ」
と、都合の良い幻想を抱いているのだろうか?
果たして、本当にそうなのだろうか?
現代日本では、
東京近郊など、大都市に住む女性たちのほうが、
生計と家事の両立をこなせている割合が高いが、
同時に、ぜいたく志向が強い傾向にあるのが、難点であるようだ。
私は、典型的に、
結婚よりも、経済的自立に重点を置いて生きた、女性であった。
大概の女性は、家事全般に関しては、
成長する過程で、一通りマスターしてしまうであろう。
よって、
生計を立てることに成功出来れば、
子どもを産む器には、達したも同然であることが、多い。
…中には、
社会進出に躍起になり過ぎて、
家事が疎かになっている女性も、居るようではあるが…
家事と賃金労働と、
どちらが崇高であるかということではなく、
どちらも一通りこなせることが、必要なのである。
現代の、若い(三十代前半くらいまで)男性たちは、
家庭科で、料理や裁縫などを習ってきているため、
女性よりも多くの割り合いで、
「生計と家事の両立」を、達成してしまっている。
このような男性に対して、
専業主婦や、ちょっとパートに出るだけのような女性は、
意識レベルの上でも、労働量でも、立つ瀬が無いのである。
つまり、旦那の愚痴をこぼせる立場には、無いのだ(笑)
すると、
家事が全く出来ない男性と、
賃金労働が全く出来ない女性のカップルであれば、
両者は、「目クソ鼻クソ」というものである。
互いが互いに、未熟なのだ。
早婚のカップルには、そのような傾向が強い。
早婚で、幸せな家庭生活を送るカップルは、殆ど見受けられない。
繰り返す。
逃避的な目的で結婚を選ぶ男女は、意識レベルが低いため、
相手が誰であろうと、ロクな人生にはならないのである。
また、
あなたが、自分のパートナーの男性に、尊敬の念を感じられないのであれば、
あなたは、パートナーのチョイスを見誤っている。
恐らく、収入かセックスに釣られてしまったのだろうが…
尊敬を感じられる男性を見つけるまでは、
パートナーシップは、組まないほうが良い。
衝突してばかりに、なってしまうからだ。
尊敬を感じられる男性に出会うと、
自然と、「相手を立てられる、奥ゆかしい女性」になれてしまう。
相手のために献身できてしまう。
相手のために、朝6時に起きてお弁当を作ることが、
楽しくて仕方なくなってしまう。
金銭的・物質的なゴホウビがなくても、
人生に、ハリが感じられるのだ!
そのようなパートナーシップを組んでいると、
パートナーに不満を感じたり、友人に愚痴ったりすることは、激減する。
あなたが、不満や愚痴が多いのであれば、
尊敬出来ない男性を、チョイスしてしまっているのだ。
尊敬出来ていないし、信頼出来ていないのである。
尊敬を感じられる男性がいたなら、
中東地域の女性たちと同じように、
自分が衣食住を支えてあげてでも、捕まえておくと良い。
彼のために衣食住の獲得に奔走することは、大して苦痛にならないはずだ。
また、それほどの器の男性であれば、
苦痛になっているときには、優しく抱きしめ、癒してくれるだろう。
私は、十代の終わりに、一年間ほど、
こうした恋愛をしていたことがあった。
その彼は、
他者から見返りを求めずに、法律相談に乗ろうとする男性だった。
私が、彼の衣食住を賄ってあげることで、
彼は、出し見惜しみすることなく、困っている人々の相談に乗れた。
彼の相談者たちは、お金に苦しむことなく、問題を解決することが出来た。
このように、
特殊なスキルや知性と、奉仕的な優しさを併せ持つ男性を、
誰か女性たちがサポートしてあげるならば、
世の中は、とても住みやすくなる。
お金があまり掛からないようになるだろう。
もし、あなたが、
いくら世間を探し回っても、
尊敬を感じられる男性に巡り合えないのであれば、
あなたは、相当に高い意識レベルに、達していると思われる。
アセンションの目前といったところだろう。
であれば、1人で生きればよい。
どのような男性であれ、パートナーを組んでも、ストレスにしかならない。
子どもの面倒を見ているのと、大して変わらないからだ。
…つまり、どのような女性であっても、
「男性に煩わされることなく生きる」ということが、可能なのだ!
全ての問題は、
相手の男性にあるのではなく、
自分の中に、潜んでいるのだ!