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小説「シャンバラとアセンション」Vo.15

エピソード29


フィンドホーンやダマヌールという名前を、

聞いたことが無いだろうか?

どちらも、

お金を介入させずに、物やサービスを流通させることに成功した、

共同体の名だ。


これらは、5次元文明の共同体では無い。

日本と同じような先進諸国に、存在している。

フィンドホーンに関しては、

1970年頃から、存在しているらしい。


世界各国には、

このような取り組みを、体を張って、財産を投げ打って行おうとする人たちが、

存在しているのである。

日本にだけ、存在していない…。



このような共同体を造るためには、

まず、「資金の提供者」が必要になる。

簡単な村設備を構築するのに、お金が掛かるからだ。


それでも、

1億円程度もあれば、

ソーラーパネルの乗った、部屋数の多い宿舎を、建てられる。

そうした宿舎があれば、

とりあえず、小規模ながら、

独自の共同体を構築していくことが、出来るようだ。


フィンドホーンもダマヌールも、

そのような宿舎から、始まったらしい。

ダマヌールのことは良く知らないが、

フィンドホーンに関しては、創生に関する本を、読んだことがある。


その本を読むと、

奉仕と霊性の強い人間だけが集まって、

強い信念を持って、大切に、発展させていったことが、わかる。

しかし、

私たちにだって、決して不可能では無いことが、わかる。


私が読んだのは、「フィンドホーンの花」という本だ。

創生者の自叙伝であるから、説得力がある。



…但し、

フィンドホーンもダマヌールも、

5次元文明的な方向から、少しずつ、ズレて来ているようだ。

外貨の獲得に、夢中になり始めている。



日本で興すには、まず、

「1億円ほどの資産」と、「確かな霊性」を併せ持つ人が、

こけら落としを行う必要が、あるだろう。

「ソフィア」と呼ばれる魂の人たちが、鍵を握っているらしいのだが、

そうではない人でも、利他的であり、資産を持っているならば、

こけら落としの役割は、担える。


また、

複数の人間が、財産を差し出し合う手だって、ある。

私は、多分、その覚悟がある。

しかし、何しろ貧乏人であり、

銀行口座には、40万程度の貯蓄しか、無い。



スピリチュアリストが、商業主義を卒業するのが早いか、

資産家が、確かな霊性に目覚めるのが早いか、

さて、どちらになるのだろうか…?


いずれにせよ、

「真のスピリチュアリストは、お金儲けなどしないのだ」

という真理に、スピリチュアリスト自身が気付くまでは、

「こけら落とし」は、起こりそうもない…。



エピソード30


私たちは、その市場で、

ピタサンドのようなものを貰って(?)、食べながら歩いた。

食べ終わった後には、パイナップルのジュースを飲んだ。

パイナップルは、私が知っているものよりも、ずっと甘かった。



市場を抜け、そのまままた、歩き続けた。



エンが連れて来た場所は、神殿だった。

お寺に近いニュアンスだろう。

神社では無く、お寺である。


神社というのは、

神職者に、自分の問題を、解決してもらおうとする場所である。

キリスト教会の概念と、良く似ている。


お寺にも、住職が居るが、

お寺はあくまで、座禅を組みに行く場所である。

心を静めて、自分の内側を見つめる。

住職は、座禅の補佐役に過ぎず、

住職が祝詞を上げて厄払いをしたり、答えをだしたりは、しない。

だから、

住職は、お金を請求したりも、しない。



シャンバラの神殿も、そのような場所だった。

神官に該当する人間が居るが、

彼は、瞑想の補佐役や、管理人のようなものだ。

少なくとも、偉そうな態度は取らないし、お布施の対象には、なっていない。


何の人格神も祀っていない。

仏像も宗教画も、存在しない。

ヒンドゥー教の国からアセンションしてきた人々は、

ヒンドゥー教を手放しているのである。


とても殺風景な空間だが、

逆を言えば、気を散らすものが、何も無い。


フィンドホーンの礼拝堂も、

このような雰囲気の建物だと、読んだことがある。

今どうなっているかは、知らないが…。



こうした、神殿の様子についても、

私は特に、驚きはしなかった。

前知識があったためである。



エンが、私に、「瞑想していくか?」と訊いてきたので、

少し迷ったが、やっていくことにした。

私はすでに、座禅瞑想の習慣を、持っているのだ。


私は、木の床にあぐらをかいて、

しばらくの間、目を閉じた。

恐らく、15分程度だったと思う。

日課にしている呼吸法があり、

それをやると、大概、15分前後になっているから、解る。

エンも、私の横で瞑想をしていた。


他にも何人か、瞑想に耽る人たちが、居た。

それぞれバラバラにやってきて、バラバラに帰って行った。

向きも姿勢も、厳密な統一性は、無いようだった。

あぐらでは無い人も、居た。


終始、とても静かであった。

本当に、瞑想に耽りたい人間だけが、訪れるのだ。

寂しさから、仲間とお喋りするために来るような人は、居ない。

キリスト教会には、世界各国、そのような動機の来訪者が多いと聞く。

懺悔や献金などは、「口実」に過ぎないのである。

ゴスペル目的の者も、多いようだし。



外に出て、充分に距離を取ってから、

私は、エンに話し掛けた。


「神殿に来る人たちの中で、

 まぶたの裏の闇に、青白い光を見る人は、どのくらい?」


エンは、ニコっと笑って、答えた。

「オール。全員ですよ。」



意識のレベルが、

アセンションの条件を満たすに匹敵するほどになると、

瞑想の際、まぶたの裏に、「青白い光」を見るらしい。

「青白い光」しか、見えなくなってしまうらしい。


それまで、

映画のようなビジョンを見ていた人たちは、

自分が不調に陥ったものかと、勘違いするようだが、

それは、スランプではなく、「成長」なのだ。



「青白い光」しか見えないとなると、

商業的なカウンセリングが、一切、行えなくなる。

だから、映像のようなビジョンに戻りたがる者たちばかりだ。

当人がそのように願えば、その通りに、なる。


彼らは、

せっかく、アセンションに近しいレベルまで登って来たのに、

お金や名声や、幻想的な風景に目が眩んで、

自ら、舞い戻ってしまうのである(笑)



ちなみに、私は、

自慢では無いが、「青白い光」を見ることがある。

毎回では無い。


仕事のことばかり考えていたり、

家族とのいざこざに頭を悩ませていると、

「青白い光」は、見えない。

それは、

私の意識が、「3次元社会の価値観」に落ちている状態だからだ。


要因は解っていても、

1ヶ月毎日、「青白い光」を見続けることが、なかなか、出来ない。


やはり、

賃金労働を手放さなければ、駄目か。


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