小説「シャンバラとアセンション」Vo.14
エピソード27
私たちは、学校からは出ることにした。
他にも、見せたい場所があるらしい。
私たちはまた、ゆっくりと歩いた。
そういえば、
乗り物を使えばもっと楽なのだろうが、
乗り物という乗り物を、見かけない。
空飛ぶ車など、夢のまた夢という感じだ。
いや、
「空飛ぶ車」を造る科学力も、あるにはあるらしい。
この田舎の村は、
世界一のスカイツリーを誇る日本よりも、
科学力が高いのである(笑)
その上で(だからこそ?)
原始的な生活を、選んでいるのだ。
それに、
「空飛ぶ車」の類も、存在しては、居るらしい。
テーマパークのような場所で、誰でも、体験出来るのだ。
限られた人間が独占したりは、しない。
また、
遠く離れた地にある、他の5次元文明への移動手段は、
「空飛ぶ車」ならぬ、「空飛ぶ電車」が担っているのだ!
残念ながら、私は、
そのようなステーションに赴く時間が、無かったが…。
人々の暮らす集落には、自転車に似た二輪車は、ある。
原付バイクが、最も近いだろうか。
道が石畳であるため、自転車では厳しいようだ。
その、原付バイク的な乗り物も、水晶の電力を充電して、動いている。
つまり、無臭であり、無公害である。
今回も、バイクで周ることも出来たが、
あちこち景色を眺めることが、私にとって勉強になるので、
徒歩で移動することを、選択したようだ。
ここの住民たちも、
徒歩30分程度の距離であれば、
もっぱら、歩いて移動するらしい。誰も、急いでいないからだ。
それに、健康に気を配っている。
幸い、私は、体力には自信があったから、
徒歩の社会科見学でも、支障は無かった。
30分歩くことも出来ないような人は、
アセンションすることは、無いだろう。
エピソード28
エンが、次に私を案内した場所は、
商店街であった。
商店街というよりは、バザーといった雰囲気である。
地べたに座り込んで、シートに品物を並べる人もいるし、
テーブル台の上に陳列する人も、居る。
豪勢なショップに、煌びやかな装飾を施し、
音楽を流して呼び込みしたりは、しない。誰も、しない。
同じような商品を扱うブースは、複数あるが、
他人と競い合うような雰囲気は、無い。
売り物は、食品と日用品が多い。
家電は、懐中電灯のような簡単なものなら、並んでいる。
TVゲームのようなものも、あった。
買い物客は、ポツポツと、居た。
全ての人が顔見知りであるかのごとく、
親しげに、やり取りをしていた。
予想は付いていたのだが、金銭の享受は、無かった。
物々交換ですら、無かった。
望まれた物を、一方的に、差し出す。
店員たちは、
「商品のアドバイザー」に徹していた。
彼らは、別に、客から品代を貰う必要も無ければ、
国からお給料を貰う必要も、無い。
なにしろ、
自分が客として市場を歩く際も、一銭も掛からないからだ(笑)
私は、
早く、このような流通システムが出来ることを、願って止まない!
お金を介入させるのは、煩わしいことこの上無い!
つい一年前までは、
そんなこと、思いもしなかったが、
「お金を介入させない人々が居る」と読んだとき、
目からウロコが落ちる思いだった!
この概念を知ってしまうと、
現行の流通システムが、煩わしくて仕方ないし、未熟に思えて仕方ない。
このような、新しい流通システムを確立するのも、
国の役目ではなく、「大衆の決意と、具体的な行動」に委ねられている。
特に、都会に住む人々は、
長引く不況と、政治家たちの搾取に対して、
無用に嘆くだけで、何の行動も、起こさない…。
それに、
自分もまた、他人から搾取するような商売をしている。
対して、
地方に住む人たちは、
物々交換のような取り組みを、ボチボチ、開始し始めている。
また、
無人の八百屋さんみたいなものも、「近未来的な取り組み」と言えそうだ。
無人ということは、人件費がかからない。
人件費がかからなければ、商品は、格安で販売出来る。
日本は、物やサービスの値段の、およそ9割が、
人件費なのである…
シャンバラのような流通システムは、
「自分が損しても良いから、安値で流通させたい」
といった具合に、奉仕的な精神を強く持つ人々が集まらないと、
回転していかないだろう。
今の日本で行うとすれば、
どこかの田舎で、数十人くらいの規模で行える程度だろう。
国全体で行うには、
「奉仕的な人間」の絶対数が、少なすぎるようだ。
少なくとも、
大衆が、資本主義を崇拝して止まない間は、
実現されそうも無い。
未曾有の大不況というのは、
資本主義システムの欠陥に、気付きやすい状態らしいのだが、
不況が底を付いた今でも尚、資本主義を盲信し続ける人々だらけであるから、
国全体が生まれ変わるのは、困難を極めるようだ。