小説「シャンバラとアセンション」Vo.12
エピソード24
エンに案内された場所は、学校だった。
村の真ん中辺りに、陣取っていた。
彼らは、教育を重要視していると言える。
真ん中に何を置くかで、その人たちの価値観が、わかるというものだ。
学校も、相変わらず、木製校舎である。
学校には、柵というものが取り付けられていたが、
誰でもよじ登ることが出来そうなものだ。
すると、
その柵に、排他的な意味合いは、無いのである。
「校舎」と表現したが、
大きな建物は、無い。
小さな、一軒家ほどの建物が、4つほど並んでいた。
アジアの田舎の学校は、やはり、こんな感じだろう。
かと言って、
子どもたちは、建物の中には、居なかった。
ガランとしていた。
教室には、黒板も無い。
何かを一斉に授業する、集団教育の概念は、無いらしい。
多少は、やるようだが。
机はあるが、整列は、していない。
班ごとに給食を食べているような雰囲気だった。
それぞれの班ごとに、異なる題材を探求して、
好き好きに、班を転々とするらしい。
決まったカリキュラムというものは、存在していないのだ。
また、
登校時間も、下校時間も、決まっていないらしい。
来たくなければ、何日学校を休んでも、構わない。
…しかし、
支配的な授業は行われていないので、
誰も、「学校を休みたい」とは感じないそうだ(笑)
このような教育システムは、
現代日本の文部省教育からすると、考えられないものだ。
しかし、
現代日本でも、フリースクールと呼ばれるような学び舎では、
ここと同じようなシステムで、学習が行われている。
フリースクールを営む人たちや、それを選択する親子たちは、
5次元社会的な、「自由と自発性」の価値観・能力を、
いち早く、体得していると言える!
もし、大衆が、
フリースクールのような学び舎を、自発的に選択するなら、
文部省は、その価値観に迎合するだろう。
政治家は、大衆の中から選抜されるのだから。
現代日本の教育が、
未だに、戦後と変わらない「軍隊式」であるのは、
他でもなく、親たちが、
その「軍隊式」を、支持し続けるからである(笑)
私たちは、
「自分たちの選択と努力」によって、
教育システムを変えていかなければ、ならない。
「フリースクールに通わせるお金が無い」
と、あなたは言うだろうか?
本当に、そうだろうか?
一人っ子ばかりの世の中で、貯金は、銀行に何千万もある。
海外旅行や新車を買うお金はあっても、
子どもの教育に掛けるお金は、無いのだろうか?
子どもの教育は、
ブランドバッグやグアムの、二の次なのだろうか?
現代の親御さんたちは、そのように、動いている。
…いや、実際に、
金銭状況が切迫している家庭も、多いことと思う。
失礼をお詫びさせて頂きたい。
けれども、
子どもを私立に通わせている家庭ならば、
フリースクールに通わせるお金は、あるはずだ。
フリースクールの費用は、私立学校よりも、安い。
私立の学校は、
公立学校以上に、「軍隊式」である。
お金のある人たちは、
「自由な教育」ではなく、
「軍隊式」のほうに、お金を注いでいるようである(笑)
そして、
政治家になるような人間は、
もっぱら、私立学校の出身者である。
親御さんたちは、
政治家などのエリートに文句を言っている割には、
自分の子供は、政治家などのエリートにならせたがる(笑)
フリースクールは、
年々縮小している。
このままでは、そのような自由な学び舎は、無くなってしまうが、
それで、良いのだろうか?
「お金のある人たちが、どこにお金を注ぐか」で、
社会の様子は、変わっていく。
国の責任では無く、「大衆が、どこにお金を注ぐか」だ。
過保護なドコモよりも、質実なソフトバンクにお金を注ぐ人が増えたから、
携帯キャリアの勢力図は、急速に変わり始めている。
ソフトバンクの社長は、
東北大震災に当り、自腹で5,000万円を寄付し、
次に、巨大なソーラー発電のシステムに、投資していた。
原発の問題に文句を言うのではなく、
原発に依存しないシステムのために、自分から行動を起こした。
あなたは、誰にお金を握らせたいだろうか?
その社長の価値観とあなたの価値観は、
「等しい」とは言わずとも、「近しい」ものであるだろう。