「人生の最期は家で迎えたい」と要望する人は多いものです。
若いうちは「そうよね。私もそう思うわ」と賛同できても、いざ自分がその人の在宅介護を背負おう立場になると、複雑な心境になったりもするでしょう。
「最期まで在宅介護を続ける気力が、私にあるだろうか」と。
何にせよ、人の望みをすべて叶える必要はない。
まず、基本的な道徳や人間関係について考えてみましょう。
人に優しくすることは大切ですが、必ずしも人の望みをすべて叶えてあげる必要はありません。
友達が「男を紹介して」と言ってきても、「この金遣いの荒い子を紹介できる男性の友達はいないな・・・」と、抵抗を感じてうやむやにすることがあるでしょう。
子供が「今年の夏休みはハワイに行きたい!」とゴネるところで、それを叶える義理はありません。
同じように、「人生の最期は家で迎えたい」という親の願いも、絶対に叶えなければならないものではありません。
それは他の友人知人の願いと同じように、「叶えられそうなら手を差し伸べてあげようか」で良いものです。
衰弱してきてもほとんど手がかからないなら、自宅での看取りを膳立てするのも良いでしょう。
介護の目が必要になった高齢者には、とても手のかかる人とそうでもない人とがいます。
自宅で暮らしていてもあまり手のかからない親御さんなら、死期が近付いてきたとき、自宅での看取りを膳立てするのもよいでしょう。
しかし、日々あまりにも手のかかる親御さんであるなら、その望みをご家族が死に物狂いで実現するのは無理があるというものです。
親御さんが自宅で最期を迎えたいがために、老人ホームを解約して家に連れ戻し、そこから24時間の介護が始まるのは、しんどいものです。介護生活や看取りのために、自分の仕事を辞めなくてはならない、睡眠不足で仕事に支障が出る・・・などと自分の寿命を削るのでは、本末転倒です。
看取りを請け負う老人ホームは増えてきている。
昔は、死期が近くなったら老人ホームから家に退去したそうです。
しかし現在では、「看取り」を請け負う老人ホームは増えています。もし、今親御さんの入所する老人ホームが「看取り不可」と掲げているなら、折を見て看取り可能な施設に転居をするとよいでしょう。
介護生活において、介護者が共倒れしてしまうのはまったく不条理です。
それは肉体や精神についても言えますし、金銭的にも言えます。